「職業としての研究者」


 

長い引用ですが,村上春樹の『職業としての小説家』(2015) から。

pp. 26–27
「というわけで僕は,長い年月飽きもせずに(というか)小説を書き続けている作家たちに対して—つまり僕の同僚たちに対して,ということになりますが—一様に敬意を抱いています。当然のことながら,彼らの書く作品のひとつひとつについては個人的な好き嫌いはあります。でもそれはそれとして,二十年,三十年にもわたって職業的小説家として活躍し続け,あるいは生き延び,それぞれに一定数の読者を獲得している人たちには,小説家としての,何かしら優れた強い核(コア)のようなものが備わっているはずだと考えるからです。小説を書かずにはいられない内的なドライブ。長期間にわたる孤独な作業を支える強靭な忍耐力。それは小説家という職業人としての資質,資格,と言ってしまってもいいかもしれません。

小説をひとつ書くのはそれほどむずかしくない。優れた小説をひとつ書くのも,人によってはそれほどむずかしくない。簡単だとまでは言いませんが,できないことではありません。しかし小説をずっと書き続けるというのはずいぶんむずかしい。誰にでもできることではない。そうするには,さっきも申し上げましたように,特別な資格のようなものが必要になってくるからです。それはおそらく「才能」とはちょっと別のところにあるものでしょう。

じゃあ,その資格があるかどうか,それを見分けるにはどうすればいいか?答えはただひとつ,実際に水に放り込んでみて,浮かぶか沈むかで見定めるしかありません。乱暴な言い方ですが,まあ人生というのは本来そういう風にできているみたいです。それにだいたい小説なんか書かなくても(あるいはむしろ書かないでいる方が),人生は聡明に有効に生きられます。それでも書きたい,書かずにはいられない,という人が小説を書きます。そしてまた,小説を書き続けます。」


 

ちょっと違うところもあるけど,小説を「論文」,小説家を「研究者」に置き換えると,「職業としての研究者」(特に文系研究者)がやっていることに近くなる。

 

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